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2007/09/17

ダミアン・ダフ(Damien Duff)

最終更新:2011年9月、小ネタ追加。自分でもどこに挟めばいいのかわからないくらい構成がぐちゃぐちゃ。

ネタが見つかれば地味に更新するページ。
殆ど自分用のメモとして際限なく増殖中。


ダミアン・ダフ(Damien Duff)
生年月日:1979年 3月 2日
身長:175cm
体重:75kg

アイルランド代表でフラムFCのMF、フラムでの背番号は16番ですが、事情がなければ代表では11番、たまに7や9だったりもします。ポジションは両サイドウィング及び時たまFWやLB。重心の低い走り方で攻守問わずピッチを駆けずり回ってます。愛称はDufferもしくはDuffy。Duffには英語ではあまり良い意味がありませんがゲール語では黒いという意味があるようです(英語圏で言うBlackか?)。

クラブ遍歴は96年から03年までの7年間をブラックバーン・ローバーズで過ごした後、03/04シーズンに1700万ポンドという大金を提示したチェルシーに当時のクラブ記録で移籍、活躍を見せるが怪我には悩まされた。何故かクラウディオ・ラニエリ監督の母親(当時84歳)から寵愛を受け、『ダフを出さないと母が脅迫電話をかけてくるんだ』とラニエリ監督に身の危険を感じさせる。ノータイトルに終わったラニエリの解任後、ポルトをCL優勝に導いたジョゼ・モウリーニョが就任し、彼の下でプレミアリーグの連覇を経験する。

06/07シーズン、シェフチェンコ、バラックの加入やチェルシーのシステムが従来の4-3-3から4-4-2に変化したこと。モウリーニョからポジションを保障することが出来ないと言われたことをきっかけに3年を過ごしたチェルシーに涙で別れを告げる。移籍先は当初はトッテナムが有力といわれていたが半日で情勢が一転し500万ポンドでニューカッスルへ移籍した。1年目、2年目と怪我や不調に悩まされ期待されるような活躍は出来ず、3年目で怪我の完治もあり持ち直したものの、クラブは相次ぐ監督の交代劇などで混乱を極め低空飛行が続く。更には最終戦でダフ自身のOGで降格が決まるという重い結果となった。

09/10シーズン、降格直後は残留を表明し開幕戦でゴールも決めたものの、クラブは依然として買収先を募集し、尚且つ監督不在が続いており安定の兆しを見せない中、8月14日にブラックバーン時代の恩師、ロイ・ホジソン率いるフラムが400万ポンドと言われる移籍金を提示しニューカッスルが移籍を許可。チェルシー時代のロンドンの自宅を手放していなかったことも手伝ってかフラムFCと3年契約。主に右サイドで起用され、大きな怪我もなく50試合に出場して9ゴールを上げた。クラブもヨーロッパ・リーグで決勝に進出と充実したシーズンを過ごす。

2010年1月5日のストーク戦のゴールで、プレミアリーグで90年代、00年代、10年代、3つの年代でゴールを記録した選手になった。10/11シーズン、前半はチームともども調子が上がらず、年を越してからいくらか上向いて4ゴール。残留もほぼ確定したところでアキレス腱の手術のため早めにシーズンエンド。


+利き足は左、でもサインは右。腕時計は右に付けてるし、キャプテンマークも右に付けます。
+性格について言及される際は内気、大人しいなどの表現が目立つ。そのキャラの所為か代表でロイ・キーンと話すまでに4年の歳月がかかったという話も……。
+2010年7月にブレイ出身の27歳のエレイン嬢と結婚。翌年4月22日に長男のウッディ君が誕生している。
+通ってた学校がラグビーの強い所だった関係で2年ほどラグビーの経験も。当時はそもそも母校にフットボールチームがなかったそうで、現在の母校のフットボール熱の話を聞いてもいまいちピンと来ない。身体がそれほど大きくならなかったので結局ラグビーはそれほど楽しめなかったと語ってます。ただラグビー自体は好きで試合もよく見にいったりチャリティーでインタビューに答えたりもする。

+少年時代はLeicester Celtic、Lourdes Celtic、St. Kevin's Boysに所属。Kevin'sは現代表アシスタントコーチのリアム・ブレイディ氏やイアン・ハート、スティーブン・カーも在籍経験あり。Lourdesはナイアル・クインもいたことがあるところだそうで、最近だとボルトンのジョーイ・オブライエンもここ。

その頃は大変に内気で、ロード・セルティック(読み自信なし)のコーチだったトニー・マクナリーは10歳のダフを発見してからダフをロードに呼ぶために2年も掛けました。ダフの父は乗り気でしたが、当のダフと話そうとすると二階に走って隠れて出てこなかったと語っています。ラグビー校のデ・ラ・セールに進学した際は、サッカーをやめてしまうかもとマクナリーを大変嘆かせた。
+ロイ・キーンを見出したスカウトのノエル・マッケイブの推薦で14歳の時にリバプールのスカウトが見に来ましたが「特に見るべきところはないし、身体が小さすぎる」との評を受けています。その後もチェルシーを出る前にリバプールからも誘いが来たようですが断っていたりとどうもリバプールとは縁がない様子。

+1996年3月5日に17歳でローバーズと契約。未成年の契約には保護者の同意が必要で、当初母親に反対されましたがかなり無茶を言って無事に契約。旅立つ前に父親から「いつでも帰ってきていい」と言われた時も「帰らない、僕はフットボールで食べていく」と意志は固かった。ローバーズへのトライアルを取り付けたのは、元ブレイ・ワンダラーズ監督で現在アイルランドB代表のヘッドコーチのパット・デブリン。当時のブラックバーン監督、ケニー・ダルグリッシュの友人でもあり、現在はダフの代理人をしています。デブリンは17歳といわず15歳頃からブラックバーンへの誘いをかけていました。

+実はブラックバーン以外にハダーズフィールドにも行っていて、ダフはハダーズフィールドを気に入ってサインする気もあったものの、当時のブラックバーン監督のダルグリッシュが非常に面白い人だったということでブラックバーンと契約。ユース時代は元英代表グレアム・ル・ソーのブーツボーイ(靴磨き)でした。ブラックバーンでは周囲に何もない丘の上に住んでいて休みの日はひたすら寝るかビデオを見るかの二択だった模様。

+ブラックバーンにいって一年ほど経ったころ酷いホームシックに罹りユース・コーチのアラン・アーバインに泣きついてすっかりダブリンに帰る気になっていたが、コーチのレイ・ハーフォードに「落ち着いて、ちょっと待ってなさい」と言われて待っていたら、その日の夕方にはダフの両親がブラックバーンに到着していた。10日ほど両親と過ごして無事に落ち着いたという話。この当時のスタッフには未だに感謝している。

+1997年に17歳でワールドユースに出場しチームも3位。なおこの時スペインを1-0で下していたため、スペインを下したことがある男ということで2002年のスペイン戦前に取材が来た。本人も忘れていたのでびっくりしたらしい。この時の監督が後の代表監督のブライアン・カーで実はロビー・キーンもメンバーに入れたがっていた。99年には二人とも出場。ワールドユースに2回出たアイルランドの選手はダフが初めて。

+自他共に認める睡眠好き。ブライアン・カー曰く18時間寝てたということで粘着性マットレス症候群と命名される。日本に来たときは暑さに参って練習以外は殆どベッドに居たんだとか。寒いところに遠征する時は寝巻きも防寒仕様。最初にチームに呼ばれた時も2、3時間昼寝していこうとしていたくらいだが母親に怒られたので止めた。基本9時間睡眠に週に2日ほど12時間睡眠が出来れば幸せ。あまりに寝てる寝てるといわれるのにうんざりしたのか、最近はアンディ・オブライエンのほうがよく寝ると防波堤を張っている。

+ワールドカップのサウジアラビア戦でのゴール後に披露した「西洋人の考える何か間違った日本のイメージ」なお辞儀セレブレーションは、数日間バスルームの鏡で練習したとっておきのパフォーマンスだったりする……身内からの評判は上々、というか母マリーさん絶賛。ルームメートのマット・ホランドからは「何だあれは?」と突っ込まれた。
+歌がうまいらしい。2002年ドイツ戦後の飲み会で披露した弟くんとのデュエットは代表を唸らせた出来。

+怪我を避けるために柔道の受身を取り入れていたりする。ファウル後の転がり方が派手なのはおそらくその影響。その他、車のシートを替えてみたり、ダイエットしてみたり、水泳にはまってみたり怪我予防に色々と試している様子。効果の程は定かではない。

+結構よく食べるという所為か太りやすく度々減量の話が出る。アラダイスの時はパスタとジャガイモを禁止されていた。キーガン就任以降この食事制限は解除され、最近はバジルソースのパスタ(いわゆるジェノヴェーゼ?)にはまっている。はまるとひたすらそればかり食べるらしく、「ダイエットに不向きなのはわかってるんだけど、好きなものはどうしようもないよね」と語る。現在は代表監督のトラパットーニの意向でキノコを避けている。花粉アレルギー持ち。

+フットボールを始めたのは父親の影響が強く、ダフが歩けるようになったと見ればボールを投げてよこす父だった。アイドルは代表及びエバートンの左サイドの名選手だったケビン・シーディ、左足のルーツはここ。好きなクラブはグラスゴー・セルティック、イングランドのクラブでは父親がファンだったマンUが好きで良く見ていたのでライアン・ギグスのファン。

+ユーロ2004予選のグルジア前、痛めた筋肉を治す必要があった際に、チームメートに塩水が良いとすすめられ早朝(AM7:30)足を海水につけ、その後ホテルに戻り二度寝。しかし海に入っていく姿を近隣のホテル宿泊者に自殺者と勘違いされ(レインコートを着てたのが服着たまま海に入っていくように見えた)警察に通報がいき、ヘリコプターによる大々的な捜索が開始、数時間後原因がダフと判明という珍騒動を招いたことも。

+後日。「フードかぶってウォークマン聞いてたから何も聞こえなかったんだ。その後、自分の部屋に戻って寝てたんだけど、近くの人が『若い男がビーチで自殺しようとしてる』って通報したみたいで、気がついたらヘリが飛んでた」そうです。

+他にもチェルシー時代、韓国遠征の際にパスポートをホテルに忘れ、置き去りにされて優勝パレードに参加し損ねたりと色々あるみたいです。ちなみにチェルシーでの優勝メダルは母に捧げたそうです。お給料も殆ど母親管理で「何に使ってるかはわざわざ聞いてないけど母さんのことは信用してるし」とほぼほったらかしで必要があったら降ろしに行く。ついでに言うと髪の色は母親似。5人兄弟の3番目で兄姉ダフ妹弟という構成、兄弟仲は良くアディダス主催のダブリンマラソンに3人で参加したりします。ダフが出たくないイベントは兄が出たりもします(おい……)。国に帰る時の一番の楽しみは弟と妹に会えること。

+長らく一人暮らし(現在は結婚して子供も生まれたので三人暮らし?)。ペットはいないの?と記者に聞かれて「怖い……無理」。Scared s**tlessとまで言ってるので本気で怖がっている。ニューカッスルでのプレシーズンでマジョルカのホテル滞在中に部屋にコウモリが侵入した際には真っ先に逃げた。その後、コウモリを追い出したGKのハーパーに逃げ足の速さをネタにされる。その割にアメオビと牧場訪問とかしたりもする。動物になれるとしたら亀になりたいらしい(似合う……)。

+仕事柄、小児病院の訪問なども良くしますが、子供の扱いはあんまり得意ではないようで。「ブラックバーンやチェルシーでも病院は随分回ったし、こういうことは好きなんだよ。ただ、子供の扱いは自分でも上手いと思わないな、僕ときたら子供より神経質だから。でも誰かの力になれるならいつしてもいいよ」。

+アイルランドU-20代表でチェルシー所属のコナー・クリフォード君はチェルシーのアカデミーに加入したばかりの頃、ダフに随分可愛がられていたらしく毎日昼食を共にしていた。その分ダフがチェルシーを去るときはショックだったと言っている。

+あだ名はDufferで元ブラックバーンのコーチ、アラン・アーバイン(現プレストン・ノースエンド監督)が最初にこう呼び始めた。スコットランド訛りで周囲からはそうとしか聞こえなかったというのが真相らしい。チームメートも殆どこう呼んでいる。ついには両親まであだ名で呼ぶ状態で、本人も試合用ブーツに縫い込むくらい気に入っている。アラン・アーバイン氏はニューカッスルのアカデミーコーチもやってたそうでテイラー君とラメージ君をコーチングした人とWikipediaにあります。狭い世界。

+親子で熱心なカトリックでパドレ・ピオ(イタリアの比較的最近の聖人)のメダルをシューズに入れている。ギブンが聖水持ってたりやっぱりカトリック圏。

+以前インタビューを受けた際に色々と話を捻じ曲げられて書かれたことがあったらしく報道関係は嫌い、インタビューは苦手。記者からはダフにインタビューさせるのは歯医者の椅子に子供を座らせるより難しいと評された。ブラックバーン時代もそれは変わらず、インタビューを受けていたら通りすがりのデビッド・ダンが信じられないものを見るような顔をしたというエピソードがある。引退後もメディアの仕事には就かないだろうとしてます。

+弟のジェイミー・ダフ君はSt Joseph'sを経てブレイ・ワンダラースのU-20に所属していたことがあり、U18代表のキャップもあります。ポジションは兄と同じく左ウィング。ジェイミー君のことはかなり可愛がっていて試合観戦などに連れて行っていた。ジェイミー君とお酒が飲めるようになったのが嬉しくて羽目を外しすぎて吐き気に苦しんだ実績がある。ブレイでのデビュー戦も脚にギプスをはめながら見にいっている。生まれはバリーボーデンという南ダブリンの町、現在はウィックローに程近いラスマイケルに実家があるためブレイには好意的で、一番身近なクラブとも語っており将来的にはプレーする気もあるみたい。将来はアイルランドリーグでキャリアを終えたいと語っている。

+映画が好きだが人に囲まれるのが嫌なので見るときは映画館を貸切っている。代表遠征のホテルにもDVDをよく持ち込む。外国映画が好み。好きな映画はゴッドファーザーのパート2、ニュー・シネマ・パラダイス、コレラの時代の愛などを挙げてますが一番好きなのはIt's A Wonderful Life。最近だとFifty Dead Men Walkingが良かったとのこと(日本では公開されてない作品ですがIRA絡みの話だそうですね)。

+音楽はロックが好き。U2とかオアシスとかエディターズを聞くそうです。The Framesとかも。弟のバンドのライブにも出没。テレビゲームはヒットマンというシリーズ物が好き。日本で言うとメタルギアソリッドのような潜入系のゲームみたいです(MGSやったことないけど)。嫌いなものは嘘吐き。最も才能を感じた選手はリオネル・メッシで自分が監督だったら欲しいらしい(獲れないよ!)、素晴らしいと思ったスタジアムはCLで行ったノウ・カンプ(カンプ・ノウ)、テレビでよく見るのはスペインリーグ、好きな色は青。代表のムードメーカーはフィジオのミック・バーンと答えてます。国内リーグはブレイの結果だけは気にしてるそうで。


名前はダミアンよりはデイミアンの方が発音に忠実ですが、ダミアンのほうが字面がいい気がするのでダミアンで通します。某映画の怖い子のことは言わない方向で。ちなみに発音もダフと言うよりはドフ(アイルランド発音だそうで、ダブリンがドブリンになるみたいなもんでしょうか、リチャダンもダンって言うよりドンって呼ぶんですよね)。
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